66個の金魚の水槽

好きな音楽と映画と場所のことをダラっと書いています。

「春が来てぼくら」がめちゃめちゃ好き。

浮かれっぱなしだった春がひと段落した。ちょっといきなり寒すぎやしませんか。久しぶりにスプリングコートなんて取り出して、梅雨入りの前の雨の匂いをかいだ。

 

それで、「あ、今春だった」と思い出して、UNISON SQUARE GARDENの"春が来てぼくら"という曲を久しぶりに再生した。そしたらスマートフォンを握る手が凍りそうに寒くて、こんな薄暗い雨の朝には全然似合わなかった。

 

 

だけどやっぱりめちゃめちゃ良い曲だったので、好き勝手言いたい。雨の日に"春が来てぼくら"を聴いて思ったあれこれについて。

 

 

最初に聴いたのは、春一番とほとんど同時のタイミングと思う。2018年3月2日の夜。

「今年の春は、最高の春になる」

そんなことでも言いたげな雰囲気すらまとって、ラジオの向こうから舞い込んできたのがこの曲だった。

 

 

"ドキドキする新曲"から、"多分これからもずっと聴いていく曲"に変わるまで、たった5分間。あまりにも鮮やかな5分間だった。

 

いつものユニゾンの新曲体験と言えば、「ユニゾンマジやばい好き」これに尽きる。彼らの音楽を前にすると、ただのユニゾンファンにしかなれないし、これからもそうでありたい。

 

それがこの曲に関しては少し違った。いや、正直口からようやく出た言葉は、相変わらず「え、やばい、好き、」ばかりだったのだけど。

でも、確かにいつもの感覚とは違った。繰り返される転調の度、くるくるとストリングのフレーズが舞い上がる度、もっと昔から知っていて、もっと昔から慣れ親しんだ感情を引っぱり出された。


この歌の文脈の中には、誰だって登場出来てしまう。あの5分弱の間、ラジオの前の私は未来を夢見る若者であり、二の足を踏む臆病者であり、卒業を控え寂しくも浮き足立つ学生だった。何者でもないけれど、何者にだってなれた。殆ど治りかけていた胸の奥のかさぶたがこそばゆいような感じがした。

 

何かの感覚に似ていた。タイムカプセルを掘り起こしに行ったときような。感情は間違いなく最新バージョンの自分のものなのに、懐かしい。目の前の風景は懐かしいのに、未来のことに話が弾む。ラジオの前にいるのは、喜怒哀楽してきた自分だった。

 

大好きなミュージシャンがつくった音楽が、まるで自分のための音楽のように聴こえて、うっかり励まされてしまう、なんて経験は多くの人にあるものだと思う。口に出せばバカにされそうな自意識も、ちゃんちゃらおかしい夢や希望も、音楽に乗せたら魔法のように輝いた。

 

個人的にはそれはあまり、特にUNISON SQUARE GARDENの音楽体験に限っては持ち込みたくない感覚ではあるのだけど、まぁこの際目をつむろう。この曲に関しては、歌詞を丁寧に咀嚼する必要もなくて、聴いたそばから一つ一つのフレーズが大事にとっておいた宝物のように輝いてしまうからしょうがない。

 

また春が来て僕らは

 

タイトルに「また」という2文字が加わる。たった2文字でこうも景色が変わるとは。言葉選び天才かよ。

最初に書いたとおり、この曲を初めて聴いたとき、「多分ずっと聴いていく」と思った。過去・現在・未来、四方八方に目線が飛んでいった。

 

ただその感覚は、半分合ってて半分違ったのかもしれない。3月の私にとってこの曲は、この上なく居心地の良い曲だった。だけどもう5月になって、いつのまにかそんなに毎日毎日聴くこともなくなった。そんなに似つかわしい気分でもない。

 

だけどまたどこかのタイミングでこの曲を再生する。4年後もどうせユニゾンが好きな自信はないけど、4年後か10年後か、やっぱり何かのタイミングでこの曲が耳に入るのだと思う。

自分で再生ボタンを押すのかもしれないし、そうじゃなければ小粋なラジオDJに良いタイミングでかけてほしい。

 

人生のテーマソングではないけれど。

正攻法の優しくて前向きな春バラード

 

その実、やっぱりタイムカプセルのような曲だなと思う。泣いた笑ったを数珠繋ぎにバトンタッチしてくれる。途切れ途切れではあるけれど、時間をこえる射程距離がとんでもない。

 

それがこの曲を聴いたときに感じた新鮮さで、この曲に惹かれる正体かしら。

 

 

MVもね、エモいよね。

ジャケットもね、エモいよね。

 

 


UNISON SQUARE GARDEN「春が来てぼくら」ショートver.

 

 

春が来てぼくら (初回限定盤) [CD+DVD]