66個の金魚の水槽

好きな音楽と映画と場所のことをダラっと書いています。

星野源の才能に嫉妬している。

晴天の原っぱの中で、ギター弾いていた。

それが初めてみた星野源だった。
あまりに出来すぎたピュアナチュラル男子のイメージで笑ってしまう。
あれは、他バンド目当てで行った大学の学祭。

 

 

インパクトなんてなかった。

 


SAKEROCKの人ソロやってるんだ。爽やかで心地よいなぁ。」くらいの印象。

ただ、あの日を遡るときに今でも思い浮かべるのは、当時の目当てのバンドではなく、晴天の空の下に吹いた星野源の歌声だ。

 

 

 

 

正月、星野源初のエッセイ「そして生活はつづく」を読んだ。原っぱでの出会いからさらに1年ほど遡り、2009年に出版されたもの。
はっきり言ってめちゃめちゃ面白かった。
そんでめちゃめちゃ嫉妬した。

 

 

 《つまらない毎日の生活をおもしろがること》というテーマで書かれている本作。
全15編に渡り、日常の一コマをコミカルに、ときにハートフル家族話を挟み、随所に下ネタ満載で切り取っている。

 

・スパゲティを食べれば白いシャツに飛ばす
・洗面台は水でビショビショにする
・携帯料金は支払えない 

 

中にはもっと「おいおい…まじか」と一歩仰反りそうなほど《ダメだこいつ》というものもあったけれど、今の彼にかかれば全て「源ちゃんかわいい」で済ませられる。

 

 

 

音楽をやらせれば、紅白歌手。

俳優をやらせれば、社会現象ともなったドラマでガッキーとチューできる相手役。

文筆やらせれば...、対外的評価はよく知らないけれど、とにかく面白い。

  

 

こうなると、星野源福山雅治なのかな?って疑問が出てくる。
だけど今さら我が国の男児で福山雅治に嫉妬する人なんていないでしょう。
いるとしたらそれは、陰で吹石一恵に恋焦がれていたオジサン。

 

 

一方、星野源


昨年は、火曜日10時を過ぎると「星野源ですらガッキーとイチャイチャできるのに」と嘆きの声で溢れかえった。嫉妬の嵐。

 

 

何故こんなに才能に溢れた人になぜわざわざ嫉妬してしまうんだろう。他の天才達には素直に感嘆できるのに。

 


その理由が、このエッセイを読んでて少しわかった。

私が星野源に見ている才能、それは生活する才能なんだと思う。

 

紐解いてみれば、星野源は同じようにくだらない生活の中にいる。そこにユーモアや面白さを見つけ出すセンスが半端ない。そしてあんなにナチュラルな佇まいでありながら、誰かの記憶に爪痕を残していく。

 

エッセイの中での彼は、自身の生活に対するコンプレックスが著しいし、妙に愛らしい卑屈さと自己評価が低さが目立つ。(と見せかけて自己愛の固まりなのは明白ですが。)

 

こじらせすぎたコンプレックスというのは、才能と実績のある人の前だけは何故だか上手く回り始め、センスに変わる。


結果、端からみると、彼の生活は才能とセンスに溢れている。

 

 

きっと私は、音楽や演劇の才能には諦めがついたって(そもそも目指してもいないですが例え話)、生活する才能は、まだまだ諦めることができないんだ。

 

 

脚色、ユーモアだ。生活におけるセンス。
そしてそれは言い換えると「一生懸命」という言葉だということ。
それさえあれば、大抵の事は上手く回り、きっと毎日は楽しい。

 

 

ものごとを、一生懸命、集めて、編む。

たったそれだけ。

星野源はどこにでもいる。 

 

だからね、年明け早々、別にファンでもなんでもない星野源なんかのエッセイを読んで、わざわざ原稿用紙何枚分も感想を書いてしまう。それがすでに悔しい。

 

くだらないの中に愛が
人は笑うように生きる

 

(くだらないの中に)

 

あの日の原っぱで「新曲です」と歌ったのはこの曲だった。(ような気がする)


2017年、秋風と一緒に聴こえてきたこの曲のように生活してみたい。

 

 

いや、やっぱり全然違う曲だったかも。

 

 

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)