66個の金魚の水槽

好きな音楽と映画と場所のことをダラっと書いています。

『たかが世界の終わり』愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて

「たかが世界の終わり」観てきました。

ギャスパー・ウリエル様大変麗しゅうございました。

軽く結末に触れているのでご注意ください。

 

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 あらすじ

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母のマルティーヌは息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌは慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ、彼の妻のカトリーヌはルイとは初対面だ。オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる。(公式HP)


『たかが世界の終わり』予告編

 

感想

 

グザヴィエ・ドラン監督の最新作。役者もスター勢揃い。

生まれ変わったらマリオン・コティヤールの顔になりたい。

そのEラインください。

幸薄メイクでもかわいすぎる。

 

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ちなみにこの三兄弟はどういった年齢構成の設定なんでしょうか。

ヴァンサン・カッセルってもうおじいちゃんだし、

レア・セドゥも10代(おそらく)の役は無理あるのでは。

 

 

あらすじ以上のことは一切おこらない。ただ歪な家族間の会話と衝突を見せられるだけ。ひとつ欲をいえば、観客としてもルイの12年ぶりの帰省の理由を知らずに鑑賞してみたかったということ。執拗に、顔の皺や瞳の動きすべてをクローズアップされて映しているからこそ、ギャスパー・ウリエルの憂を帯びすぎている謎めいた表情から色々と詮索してみたかった。

 

 

「自分の死を告げに来る」というのは、本人も自覚はしているだろうけど、とんでもなくエゴイスティックな行為。ルイの様子をみていても、伝えること伝えて社会人として、家族としての最低限の役目を終えたらまたそそくさと帰るのは明らか。

既に自分たちだけのルール、文化の中でギリギリのバランスの上で成り立っているこの家族にとって、そのたったひとつの他者のエゴが致命的。ルイの帰省は異物でしかない。

兄は暴力的にそれを排除しようとし、母は愛という言葉で溶け込ませようと振舞う。妹は独りよがりな理想を兄に映す。彼ら一人一人の振る舞いがことごとくかみ合わず、噛み合わないまま映画は幕を降ろす。違和感だらけだ。幸か不幸か、ぬくぬく温室育ちの私なんかには一個も理解できるところがなかった。

 

 

それでも、去っていく息子に「次は、大丈夫だから」と伝える母親の姿には胸を打たれた。それは息子が求めていた言葉でもなければ、何の救いにもなっていないのだけれど。

何が大丈夫なんだろう。子供の受験や就職試験、部活の試合や発表会、母親が子供に対して言う『大丈夫』にはいつだって何の根拠もない。あるのは「側で頑張っているのを見てきた」という事実だけだ。

あげく本作では肝心の「側で見守っていた」事実すらない。自立した子供に対して、それでも母親が伝えられることは『大丈夫』という言葉しかないのかもしれない。根拠はなくても無責任な言葉ではない。どんなに歪な親子でも、それはあまり変わらないのかな。

 

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